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 獣道とはいえど、そこは久しく誰も通っていなかったようで、僅かに踏み固められた地面を頼りに道なき道を進んでいく。途中、何度も足を滑らせ、何度も転んだ。いくら泥で汚れようと、緑間は決して足を止めなかった。止めてしまえば、たぶんそこから動く気力などなくなってしまうかもしれない、という恐怖があった。
 それに、そろそろ完全に日が暮れる。
 まだ辺りは薄暗いのでなんとか歩けているが、日がとっぷり暮れてしまえばこの山の中を歩くことは難しいだろう。なんとしてでも夜が訪れる前に道へ出なければ、とその思い一心で、ただひたすら前へ前へと進む。
 そうしてしばらくして。目の前の風景が木々から竹藪へと変わった。そして、まるでそこを通れとでもいうように、竹が切られ一本の道が示されていた。緑間は多少は不審に主ながらも、導かれるままにその道を辿っていく。辺りはすっかりと暗くなっており、自分の周囲の僅かな範囲だけが視認できる、その程度だった。
 そして数分後。
 和成が言っていたように、アスファルトの敷かれた道路に出た。その道は見覚えがあり、あの村に続く山道の手前の道だった。
 そして。

「緑間くん、待っていたよ

」  人の良い笑みを浮かべる村の顔役の一人が、そこにはいた。
 村人の姿に身構えると、顔役は敵意はないと両手を挙げる。

「私は君と、神子様、じゃなくて和成くんを助けに来たんだ」

 顔役の背後には一台の車。単純に考えるのなら、顔役は緑間を逃がすためにここに来たと考えられる。しかし、それを素直に信じられるほど、緑間は能天気ではない。どうすべきか迷っていると、

「すぐに信じられないのは分かるよ。この村の信仰を知ってしまったのだから、現代社会で生きる君にはとても酷なことだったと思っている。でも、利用するくらいの心づもりでいいんだ、私は君と和成くんに逃げてほしい」

 真摯に訴える目に嘘はなさそうだった。今この場で頼れるものはない。ならば、罠かもしれないが身を任せてもいいのかもしれない、と緑間はその申し出を受けた。


 車の中には、既に緑間の荷物も積まれており、本当にこの人は逃がそうとしてくれているのだと感じたる。
 最寄りの駅まで向かう最中、顔役の男性はぽつりぽつりと村のことについて話した。

「私はね、この村の信仰といってしまえば聞こえは良いかもしれないが、悪習には反対なんだ。なにも、最初から反対していたわけではないよ。私もこの村で生まれて育ち愛着もあるし、最初は神子が生贄になることに対して違和感はなかった。この村は物理的にも文化的にも隔離されているから、そのことに疑問を呈する人は少ないし、声を上げたところで潰される。それに、神子を見殺しにした罪悪感という共罪で、村は結束している部分もあるんだ。
 でもね、それではいけない、と思うようになったのは、和成くんが神子になってからだった。彼は両親がいない。いつ、どこで生まれたのかも私は知らないんだ。ただ、いつの間にか神子だ、と連れてこられた。彼はあんな狭く窮屈な環境の中でも笑顔を絶やさず、私達に明るさを分けてくれた。稀有な子だと思ったよ。神子とは別の意味でみんなの中心にいる存在だった。
 いつの間にか、私も心を掴まれていたんだろうね。本来は神子教育以外のことは教えないのだが、私は彼が喜ぶ姿を見たくて、外の世界の話や情報を与え続けた。いずれ来る死にそれらは不要だと知っていたけれど、和成くんにはもっと広い世界があるんだと知ってほしかった。そして、生贄になってほしくなかった。
 だから、生贄として神子が捧げられる今年、緑間くんの調査依頼が来て、渡りに船だと飛び付いたんだよ。君が何かをしてくれるなんてなんの確証もないけれど、何かしなければ確実に和成くんは死んでしまう。私にはそれがどうしても耐えられないものに感じたんだ。だから、村人を説得して調査を受け入れた。
 そうしたら、こちらが何もしなくても君たちは出会ったね。そして、君は和成くんを逃がそうとしてくれた。
 私が言うのはおかしいかもしれないが、ありがとう。和成くんを救ってくれて、ありがとう」

 顔役の男性はそう言うと、静かに涙を流していた。彼も、村の中で一人悩んで苦しんでいたのだと思うと、一概に責めることなど到底できなかった。

「あの、和成は助かりますか」
「助け出す。絶対に、彼を死なせたりはしないよ」
「でしたら、これを渡してください」

 千切ったノートの切れ端に、なぐり書きだが緑間の住所と一言、「絶対に会いに来るのだよ」と添えて託す。

「俺も和成にはもっと広い世界を見てほしい、俺の住む世界を見てほしいと思っています。なので、助け出したら必ず、俺のところに来るようにと伝えてほしいんです」
「ああ、分かったよ」



 駅まで送られた後、顔役の男性は、

「任せておきなさい、ちゃんと和成くんを助け出すから」

と再度力を込めて言うと、帰っていった。
 緑間は心の中で祈りを捧げるしかできなかった。

 神様、どうか。
 いるのなら、どうか、和成の生をこれからも繋いでください。和成の生まれた意味を見出せるような道を提示してください。



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