算数と文系



 それは、何の変哲もないある日の昼下がりのことだった。
「離せって!主の命令だぞ!」

「あるじさまがごらんしんだー!」

「いいぞー。之定、そのまま関節を決めろ!」

「うるさい!これは命令とは言いません!わがままです!」

 それにそこの傍観者も見てないで協力しなさい!」

 本丸内の執務室にて、私―?―こと審神者は歌仙兼定にスリーパーホールドを絶賛かけられ中である。
 横では今剣と和泉守兼定が、やんややんやと歓声を浴びせている。
 部屋の前を通りがかる他の刀剣男士たちは、ちらりと一瞥するだけで去っていく。
 それ以外は、いつもと変りない、暖かな日差しの穏やかな日だ。
 そもそも、なぜ私が歌仙兼定にスリーパーホールドをかけられる羽目になったのか、時間は30分ほど前にさかのぼる。


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 月末は戦況報告などの締め切りに追われるのは、どこの業界でも常である。
 審神者も例外ではなく、明日に迫った締め切りに追われていた。しかも今回は、いつもの報告書に加え、半期に一度訪れる会計報告、次々期の予算案の作成などの財務処理の締め切りも迫っていた。

「前々からしておくように言ってましたよね?」

 近侍の歌仙兼定はお茶を淹れてくれるも、顔に笑みはない。その表情から、「またかよ」という言葉が聞こえるのは、私の幻聴なんかではないはずだ。
 正直なところ、審神者業はほぼ事務仕事なんじゃないかと思う。ただの事務仕事ではない。政府や刀剣男士といった上司や部下もどきはいるが、実際的な上司や部下はいない。
 それは何を意味するのか。

「営業も総務も人事も経理も一人でこなせとか、私は社員一名(内訳:私)の会社でも立ち上げたのか」

「余計なこと言う暇があったら手を動かせ」

「Yes, Boss」

 前職は学生でした。アルバイトでレジの精算をしたことや売り上げ帳簿をつけたことくらいはあるが、さすがに運営まではしたことがない。運営、経営に関しては、ただのずぶの素人である。
 審神者適正があるから、と戦闘知識だけは研修で学ばされたけれど、いざ審神者になってみると戦闘以上に大変だったのが、主に金銭面での本丸運営だった。最初は潤沢な予算をくれた。だけど、ずぶの素人は知らなかった、予算が余ったら次期の予算は減らされることを。次からも同額がくるから、増えるであろう未来の刀剣男士たちへの貯金に回そー、と呑気に考え、半額をそっくりそのまま残しておいた過去の私を盛大に責めたい。
 2期目の予算の額面を見て、見間違いではないかと目を疑った。
 そんなこともあり、現在は10期目が終わろうとしている。期間にして約5年。やっと他の審神者と同額程度の予算まで引き上げることができたのだが、政府側の、

『予算いるんです?あんなに使わなかったのに?』

とも感じられる厳しすぎる監査に苦しみ続けている。同期の他の審神者から聞いても、トイレットペーパーの代金まで聞かれることはない、と言っていた。なのに!なぜ!私は1mあたりの値段まで報告しなければならないのでしょうか!!

「ねえ!歌仙おかしいよね!」

「あなたの思考回路のほうがおかしいです。仕事しろ」

「Yes, Boss」

 という事情で、期末は財務処理にとても追われている。
 さらに不幸なことに、私は数字を扱うことが壊滅的に苦手である。算数のレベルですら危ういこともある。
 いくら表計算ソフトなどという文明の利器があろうとも、どのセルにどの数字を入力するのかは自分で考えなければならない。そう、数字を使わない算数を延々としているようなものだ。
 テンプレート?
 そんなもの特別監査が厳しい我が本丸には役に立たない。
 マクロ?関数?
 そんなもの、できたらやってる。できないからやってない。それだけの話。
 文明の恩恵を享受できないやつは、文明の利器を十分に活用せずに、表計算ソフトを電卓として使うことしかできないのだ。
 思わずため息をつけば、隣から歌仙の鋭い視線が飛んできた。
 審神者の仕事についてだけでなく、日常生活の過ごし方までお小言を言ってくる歌仙兼定に、以前、一度だけ誤って

「お母さん」

と呼んでしまったことがある。今でも忘れない、あの時のブリザードのような眼差し。一週間も冷たい視線とともに、口も聞いてくれなかった。
 あれに比べれば全然だ。睨まれたくらい、どうでもない。悲しい意味で慣れてしまった。
 だから特に反応することもなく、また仕事に戻る。タイムリミットまであと1日と8時間。間に合う気がしなかった。
 ちらりと歌仙兼定に目をやると、それはそれは優美に書を読んでいる。本人の言う通りそこだけ『雅』な空間だ。
 堂々とくつろぐ歌仙兼定に、だんだんムカついてきた私は悪くないはずだ。

「ねえ歌仙、このままだと締め切りに間に合わないから、ちょっとこれだけ手伝って」

「……はあ、仕方ないね」

 9割嫌がらせ、1割の申し訳なさで、今月の資材の収支を作成してもらうことにした。経理の中でも比較的わかりやすいものだ。文系の彼でもできるように、多少は配慮した私は褒められてもいいはずだ。
 刀剣男士にこのような仕事を任せたことはないため、どのくらい時間がかかるのか未知数だったが、私はいつも2~3時間かかっていたため、少なくとも3時間はかかると踏んでいた。
 なのに。

「終わったよ」

 時間にして、30分もかかっていなかった。
 驚愕に言葉が出ず、歌仙兼定を見ていると、

「君は何でこんな便利な機能を使わないのかい?」

 なんと、表計算ソフトの使い方まで熟知していた。

「歌仙、表計算ソフト使うの初めてだったよね?」

「実際には初めてだね。でも、本を読んで、そしていつも君が使っているところを見ていると、なんとなくわかるよ」

と言いながら、手に持っていた書―――『表計算ソフトの使い方で仕事の成果は変わるー中級者向けー』を見せてくれた。
 書だと思っていたものは、思い切り現代のビジネス書で、ブックカバーによって擬態されていた。
 確かにおかしいとは思っていたんだよ、雅を愛する文系の彼がいつもいつも同じ本を読んでるって。そんなに読むのが遅いのか、と思ってたよ。
 でも、実際は、

「内容は面白いが、見た目が雅じゃない」

から、ブックカバーをしているとのことだった。まんまと騙されたね!!
 でも、まだブックカバーのことはいい。個人の趣向に口を挟むほどやさぐれてない。
 一番ショックだったのは、彼は『文系』なのに、表計算ソフトを自由自在に操れたことだ。触れたこともないものを、こうもいとも容易く、文系のくせに……。
 確かに文系は全員数字を扱うことが苦手なわけではない。でも、歌仙兼定が文系なのは、

「数学わかんないから文系~」

と安易に進路を選択した私と同じ匂いがしていたのに!
 そうか、彼は、

『文系(理系ができないとは言っていない)』

タイプだったのだ。そうかそうか。私はオールドタイプの文系なのに対し、彼はニュータイプの文系だった、ただそれだけのことだ。うん。

「やってられっか!!こんな仕事!!」

「主っ!?」

 ちゃぶ台返しよろしく、書類がのせられたワゴンをひっくり返し、執務室を出ようとしたところ歌仙兼定につかまり、それを見た今剣と和泉守兼定が茶々を入れ、その隙に逃げ出そうとした私は歌仙兼定にスリーパーホールドをかけられている今に至る。


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「歌仙!!痛い!痛い!ギブ!」

 エビぞり固めではないものの、歌仙兼定の腕力で頸部を締められると苦しいし痛い。腕を叩きつつ訴えると、ハッと気付き、「すまない」と解放してくれた。ただし、両手は後ろ手に拘束されているが。

「うわー、なんかすごくいやらしいかっこうですねー」

「之定、お前そういうのが趣味なのか?」

 外野が楽しそうにやいのやいの言っている。それに歌仙兼定は、「違う!!」と珍しく語気も荒く言い返しているが、その度に、

「そんなにむきになるなんて、よけいにあやしいですねー」

「そうカッカすんなよ、誰にでも人には言いづらい趣味はあるってもんさ」

「歌仙ってやっぱりムッツリだったんですね」

「主は黙ってなさいっ!」

 火に油を注ぎ、飛んで火にいる夏の虫になっていた。
 珍しく雅な色白の顔を赤く染め、鼻息が荒い。雅じゃないよ~、と小声で言うと鬼のような形相で睨まれた。怖い。

「おや、なにしてるんだい?」

 我が本丸において二大『雅』と言えば、もちろん雅が実体化したような歌仙兼定と、そして煌びやかな蜂須賀虎徹である。その二大『雅』の片割れ、蜂須賀虎徹が姿を現した。
 このチャンスを逃すまいとばかりに、

「蜂須賀!歌仙が、歌仙がいじめ」

「歌仙兼定、主は今回どんなことをしでかそうとしたのかい?」

 思い切り雅側だった。
 雅陣営の2人は常に連携を図っているらしい、ということは今は知るところではない。
 2人がは話しているところはあまり見たことはなかったため、勝手に仲はよろしくないと思っていたのは違ったらしい。それに、蜂須賀虎徹にも困った子扱いされていることに、いささかショックを覚える。

「どんまいです」

「ドンマイだ、な」

 少し気落ちする私に、今剣と和泉守兼定は温かい言葉をかけてくれるが、どうせだったらそのいかにも楽しいです、といった笑顔をしまってほしい。逆に心がえぐられる。

「主が仕事を投げ出そう……実際に投げて逃げようとしたからね」

「ああ、そういうことか」

 雅同士はそのまま雅に雑談に興じている。うまみ成分は乗算と言われているが、雅成分も乗算と言っても過言でないほど、雅が満ちている。
 雅に身を任せて、そのまま何事もなかったかのようにいなくなりたかったが、

「主、明日が締め切りの書類が終わらないそうだね」

 蜂須賀虎徹が満面の笑みでこちらを見ていた。そして、

「私でよければ協力するよ。それに、他の刀剣男士にも手伝わせよう。ここはみんなの本丸だからね」

 天使がここにいた。
 私は声もなく何度も何度も首を縦に振った。
 私の必死な様子に蜂須賀虎徹は柔らかな笑みを浮かべると、仲間を集めに行ってくれた。
 そこからは、みんなとワイワイしながら書類作成を進め、気が付いたときには全部終わっていた。まだ日を跨いでいない。戦闘以外の彼らの優秀さに驚く。
 でも、そういえば以前に同期の審神者が、

「刀剣男士たちがみんなスパダリすぎてやばい。私もうお嫁行けない」

と興奮気味に話していたことを思い出した。その時は、いまいちよく理解できていなかったが、今ならわかる。刀剣男士はスパダリ。
 腦筋っぽい同田貫正国や、あの現代にはかなり疎い三日月宗近でさえ、歌仙兼定が少し教えるだけで表計算ソフトを使いこなしていたのだ。

「主にとってはこのそふとやらは難しいのか」

と、孫を見るような目で見ながら、誰よりも美しい書類を作成した三日月宗近に言われた時は、悲しさで少し泣きそうになった。


**


 それぞれ解散し、執務室にはいつものように私と歌仙兼定の2人。誰もいなくなると、小さくくすぶっていた虚しさが姿を現した。刀剣男士たちの手にかかれば、あまりにもあっという間に仕事が終わり、これまで必死に頑張っていたと思っていたことは、自分の能力が足りなかったからだということを痛感した。  一度苦手だと思ったら手を出そうとしない。
 ぎりぎりまで仕事をためこんでしまう。
 逃げることしか考えてない。
「もう少し頑張れば、もっとできたかもしれないのに」という仮定ばかりだ。そのせいで、厳しい財政の中、刀剣男士たちには苦労を掛けることばかりだった。
 今回もそうだ。

「やっぱり、向いてないのかな」

 ぽつり、と言葉がこぼれ出る。
 一度流れ出ると、蛇口からほとばしる水のように、次から次へと言葉が、そして自分に対してのやるせなさが流れ出る。
 誰に宛てた言葉でもないが、隣にいる歌仙兼定は何も言わない。ただずっと、静かに隣にいるだけだった。
 自嘲した笑みは浮かんだが、不思議と涙は出なかった。悲劇のヒロインになりたいわけでもなかったし、すべて事実だったから。
 一通り出し終えると、妙にすっきりとした。根本的には落ち込みを引きずれないのだ。

「ごめんね、歌仙。愚痴を聞かせることになってしまって」

 口も挟まず、ただずっと側にいてくれた。それはとても心強かった。
 すると、今まで一言も話さなかった歌仙兼定が口を開いた。

「そうやって、何でも1人で抱え込んで、1人で苦しんで、1人で解決するんじゃない。少しは誰かに頼ってくれ。みんな、1人で頑張ろうとしている主を心配しているんだ。
 主は1人じゃない。この本丸、みんなが味方だ」

 私よりも苦しそうな歌仙兼定は、お小言の多いお母さんのようでも、塩対応のときの冷たさもなく、私の仲間、味方として、心から心配してくれていた。
 ずっと近侍でいてくれる彼に心配をかけまいとしていたことが、逆に心配をさせていたことには罰の悪さを感じたが、それ以上に心配してくれたことが、うれしかった。
 ありがとう、と告げると、

「できれば、僕には最初に頼ってほしい」

「こちらこそ、頼らせてください」

 彼との付き合いも6年目に入る。不器用は長い時間をかけて、ようやく一歩踏み出せた。


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