ひとりじゃ、寂しいよ




 歴史修正主義者、時間遡行軍との長い戦いが終わった。
 熾烈な戦闘だったにも関わらず、その終わりは実に呆気ないものだった。戦の任から解放された審神者達は、共に戦った刀剣男士たちとの別れを惜しみつつも、本丸を解体し平和な日常へと帰っていった。中には刀剣男士と恋仲になってしまっていた審神者もいたが、彼らは戦が集結した途端、関係が解消したという。元々、そのような術式が組み込まれていたのかもしれないが、本人たちが納得した結果であれば問題ないのだろう、他者が口を出す問題ではない。
 私の本丸も、明日で解体される予定となっている。
 本丸解体とは言っても、物理的に破壊することはない。本丸という亜空間に作られた箱庭への契約解除が即ち、解体につながる。契約が解除されると、本丸に存在する全ての物は消滅する。亜空間ごと、消去されるのだ。
 審神者には二つ、選択肢が提示された。
 一つは、自らの手で全ての刀剣男士を刀解すること。
 もう一つは、刀解せず亜空間ごと消去すること。
 消去されるとはいえ、最終的な彼らの行く先はどちらも同じ、本霊へと還っていくことには変わりない。ただ、刀解には忌避感を示す審神者も珍しくないため、政府としては珍しく温情であるのか、選択肢が示された。
 私は、自らの手で刀解することを選んだ。
 結果は同じかもしれないが、過程が大切であり、自らの手で彼らを戦から解放するのが、烏滸がましくも神を使役した人として、最後に彼らに捧げられる敬意だと、感じている。
 私の意思を彼らに告げると、彼らも笑顔で頷いてくれた。そして、よく頑張ったね、と一言、労いの言葉をくれた。
 それが一月前。
 そして前述の通り、とうとう明日、私の本丸も解体となる。
 二日前から少しずつ、刀剣男士の刀解は始まった。
 最初に刀解を、と申し出たのは意外にも鶴丸国永だった。

「どうだ、驚いただろう」

 といつものように光が溢れるような笑みを弾けさせて言う彼には、最後まで驚かされてばかりだった。最初期からいる刀剣男士の一人である彼は、本丸の兄貴分だった。
 刀解直前、なぜ一番手に名乗りを上げたのか聞くと、

「そうでもしないと、君は選べなかっただろう?それに、俺は君と過ごした時間は長い方だ、こういう時は古参の奴が率先して行くべきだろう、と思っただけさ」

 行動一つ一つに思慮を巡らせ、最後まで私のことを気にかけてくれた彼との思い出が蘇ると、はらはらと自然に涙が零れていく。鶴丸国永は袖でそれを拭ってくれ、いつまでも変わらないでくれよ、と変わらない笑顔とともに還っていった。
 彼が居た跡には、僅かな資材が、微かに彼が存在した証拠として残されていた。
 鶴丸国永を皮切りに、次々と名乗りを上げ、続々と刀解していった。彼らは皆一様に、最後は私のことを口にして去って行く。不出来な妹を心配するように、頼りない友人を激励するように、気の弱い幼馴染みを叱咤するように。
 最後になって、どれだけ愛されていたのか実感した。果たして、私は彼らの愛に十分に応えられていたのか、今となってはそれを確かめる術もなく、些か不安が残る。
 しかし、最後まで彼らに不安を与えてはいけないと、成長した私の姿に安心して還っていって欲しいと、張りぼての虚勢を張り、彼らを見送った。数年の時を共に過ごしたのだ、彼らも私の虚勢に気付きながらも、頑張れよと、もう安心だねと、旅立っていく。
 彼らが去った場所に残された僅かな資材に涙を流し、濡れた目を擦りながら次の刀剣男士を刀解していく。
 私の手で彼らを見送ることが最後の仕事であり、この胸の痛みは私の力で葬ってきた罪なき生命への償いだと、自分に言い聞かせ刀解を繰り返すこと数十回。
 最後に残ったのは、初鍛刀である薬研藤四郎と、初期刀の加州清光。
 薬研藤四郎は「じゃあ、最後は加州の旦那、頼むぜ」と迷いなく先に刀解されるのを選んだ。

「大将は、損な性格してるな」

 刀解の前、薬研藤四郎は苦笑しながら告げた。曰く、負わなくてもいい業まで、背負ってしまおうとするお人好しなのだ、と。

「今回の刀解も、俺らにとっては本丸ごと存在が消えたとしても行き着く先が同じであれば、別にどちらでも良かったんだ。それに、そっちの方が大将の負担も減るだろう」

 こんなに泣き腫らして、と赤く滲んだ目尻にそっと指先を添えて、薬研藤四郎は薄く笑う。

「でもまあ、こんな大将だからこそ楽しかったぜ。自慢の主だよ、大将は」

 最後まで薬研藤四郎は強く、朗らかに笑っていた。



 残されたのは、加州清光、ただ一口。
 彼を呼びに行こう、と広間へ向かうも姿は見当たらない。どこへ行ったのだろう、と本丸の中を探す。
 あんなに手狭に感じていた本丸も、誰も居なければ空間を持て余し、所在なさげに佇んでいるように見えてしまう。
 いつも燭台切光忠と歌仙兼定が食事の用意をしてくれた厨房へと繋がる扉。開けたらいつものようにお味噌汁のいい匂いと、忙しなく動く二人の背中が、と扉を開けるも、そこには綺麗に整理された調理器具が並ぶだけで。もうあの時間に戻れないことに、涙が頬を伝う。
 この角を曲がれば庭の見える広縁がある。そこでは碁を指しながら茶を楽しむ三日月宗近と小烏丸が。蔵の裏側では畑仕事をサボった和泉守兼定が昼寝をしていて、厩では鯰尾藤四郎が嬉々として馬糞を集め、それを骨喰藤四郎が静かに眺めている。神社では石切丸が祈祷をし、反対側の祠ではにっかり青江が木々の葉擦れに耳を傾けている。道場では粟田口の藤四郎兄弟と稽古番の同田貫正国の活気ある声が溢れ、本丸のどこかで突然脱ぎ始めてしまう千子村正を諌める蜻蛉切の困惑した声。
 本丸のどこもかしこも、思い出が染み付いている。まざまざと眼前に浮かび上がる記憶に、枯れ果てるほど流れたと思っていた涙は、止めどなく頬を伝い、雫となり落ちていく。
 戦争が終わったことは喜ばしいことだ。苦しいこともたくさんあった、早く終わってほしいと思っていた。決して戦争が続いて欲しいわけではなかった。
 けれども、刀剣男士と過ごした数年は苦しくも、楽しかった。それこそ、出陣していない時の平穏な日常が永遠と続くのだと、錯覚してしまうくらいには充実した日常だった。
 彼らの残り香だけを残して、肝心の中身はもういない。  壁や柱の傷、剥げかけの壁紙、一つだけ切れた電球、片方だけなくなった草履。それら全てが愛おしさを孕み、切なさを訴えかけてくる。
 急にこみ上げて来た寂しさで、加州清光を探す足が止まった。図らずもそこは、初めて加州清光と相まみえた場所、この本丸の全ての、私の審神者としての始まりの場所、玄関だった。膝を付き、うずくまるようにして嗚咽を漏らしながら涙を流す。一人で抱えきれないほどの寂寥感が雫となり、床に水玉模様を描く。
 寂しい、と言葉にできたら楽だろうに、口から漏れ出るは言葉にならない掠れた声だけで。狂ってしまいそうで、いっそ狂ってしまった方が楽かもしれないと思うも、本霊へと還る彼らの最後の言葉が私を正気に引き戻す。

「やっぱり、泣き虫なのは変わんないね」

 聞き慣れた初期刀の声が聞こえた。
 顔を上げると柔らかい笑みを浮かべる加州清光と目が合った。涙に塗れた私の顔を見て、せっかくの可愛い顔が台無しじゃん、と汚れることも厭わず袖口で涙を拭いてくれる。
 そういえば、初めて加州清光と会った時も泣いていた。
 戦場へと放り込まれ、自分一人の力で生き抜いていくことに恐怖を感じ、思わず涙してしまったのだ。その時の加州清光の慌てようは、今では想像できないほどに滑稽だった。
 昔のことを思い出し、思わず頬が緩む。

「そうそう、主は笑った顔の方が可愛い」

 満足したように微笑むと、じゃあ行くよ、と加州清光は私の手を引いた。私はされるがままに着いていくしかなく、加州清光との別れが近づいていることに、先程一瞬浮上した感情は再び沈み始めていた。
 しかし、彼が向かった先は鍛刀場ではなかった。

「ずっと、主と二人だけで見たかったんだ」

 庭の隅に植えられた、肩ほどまでの背丈の椿。小ぶりではあるが、いくつも赤々と花開いている。

「いつの間にか、こんなに育ってたんだよ」



 審神者になって一番最初にしたことは、実は初期刀の加州清光と椿を植えることだったことを思い出した。彼たっての希望で、初鍛刀を行う前に一本の苗木を本丸の片隅に植えたのだ。

「椿って縁起が悪いとか言うけどさ、常に葉が青く茂っているから縁起が良いっていうのが本当なんだって」

 理由を聞いたわけでもないのに、加州清光は自ら話し出した。その後、彼が何を語ったのかはもうほとんど覚えていないが、苗木を見つめながら話す彼の横顔は、とても綺麗だ、と感じたことは鮮明に覚えている。



 あの時から、もう幾年も経ってしまった。
 戦況が悪化するにつれて、この椿の存在もすっかりと頭の隅に追いやられてしまい、彼に連れられなければ思い出すこともなく、本丸ごと消えていただろう。
 一際大きく咲く一輪に触れると、僅かな重みを持って萼を残して花弁が手の中に落ちる。まだ瑞々しさを湛えてはいるが、切り離されたそれはもう、生命が枯れていく運命でしかない。まるで、明日消え行くこの本丸みたいだ、と柄にもないことを思う。

「本当に、大きくなったよね。それだけ長く、主と一緒に居たってことなんだね」

 加州清光は、最初に出会ったあの頃と同じ笑みを浮かべる。
 変わらないその笑顔に安心すると同時に、彼と私は違う存在であることを感じてしまう。
 変わることなく在り続ける物と、いつかは必ず尽きてしまう生命ある者。
 両者が両者である限り、いつかは必ず別れが訪れていたのだ、と。ただ、その別れの時期が今だっただけで。
 悲しくない、と言えば嘘になるが、ただ、先程までの押し潰されそうな悲愴感は小さくなっていった。
 出会いがあれば別れがあるのは必然だ。今更ではあるが、その必然を受け入れることがやっとできた気がした。
 加州清光は私の中の変化に気付いたのか、浮かべていた笑みを少し引き締め、主、お願いがあるんだけど、と告げる。

「俺の刀解、明日の朝に延長できる?」



 その日の夜は初めて、加州清光と布団を並べた。
 思えば、これだけたくさんの刀剣男士がいても、寝る時は常に一人だった。皆、私のことを大切に扱ってくれた。それは嬉しかったけれど、こうしてすぐに触れられる場所に心を許した存在がいる、というのはなんと心強いことか。修学旅行の夜のように、友達の家に泊まりに行った時のように、その日は夜通し加州清光と話をした。
 それはどうでもいいことばかりで、とりとめのないけれど、心が暖かくなるような、そんな話だった。
 好きな食べ物、嫌いな仕事、好きだった遠征先……。
 私の知らない加州清光の顔がそこにはあった。それは、加州清光も同じだったのだろう。

「こんなに長く一緒に居たのに、全然主のこと知らなかった」

 でも、最後に知れて良かったよ。

 はにかみながら嬉しそうに話す初期刀に愛おしさがこみ上げてくる。
 親以外とこれほどまでに長い時間共に過ごしたのは、加州清光が初めてかも知れない。彼は人間ではないけれど、友達とも家族とも違う、いわば戦友のような強い絆で結ばれているように感じた。これは私のエゴだけれども、彼も同じように思ってくれていると嬉しい、と、彼の話を聞きながら静かに祈った。



 その後、一睡もせず、気付けば東の空は白み始めていた。

「今日に、なっちゃったね」

 少し寂しさを滲ませた顔で、ぽつりと加州清光は呟く。
 どう足掻こうとも、今日で彼ら刀剣男士との縁は完全に切れてしまう。
 夜が明けなければ、と願おうとも時間は無情にも容赦なく流れ続けていく。時の流れ、それが生み出す歴史を守るために戦っていたのだ、時間の重みや、時間を止めたい、過去を変えたいと思う人々の思いは苦しくなる程に身に受けてきた。だからこそ、この結果を受け入れなければいけないと理解はしているのだけれど、心は強く拒否している。
 加州清光の顔を見つめたまま返事を返さない私に、彼は二、三度優しく頭を撫でた。ちょっと待っててね、と加州清光はふとんを離れる。遠くでぱたぱたと足音は聞こえるが、部屋の中には静寂が積もっていく。
 一人とはこれほど重いものなのか。
 指一本も動かせないほどの自重に押し潰されてしまいそうだ。
 じわり、と眼球を涙が濡らす。泣きたくないのに、意思とは反対にはらはらと涙が頬を濡らしていく。この先、私ひとりで生きていくことなんてできない、と弱音が心の中にとぐろを巻く。昨日は確かに別れを受け入れられたはずなのに、また振り出しに戻ってしまう自分自身にも嫌気が差し、自己嫌悪に拍車を掛けていく。

「ほんと、俺がいなきゃ主は泣き虫だね」

 障子から、少し息を切らした加州清光が眉根を下げて笑っている。
 そうだ、いつも私が泣いている時には必ず、加州清光が側に居た。泣いている私を慰めるわけでもなく、泣き止むまでただ隣にいてくれて。
 そして今も、隣で微笑んでいる。
 今日からは泣いても、隣に誰もいることはない。一人で泣くしかない。

「……ひとりじゃ、寂しいよ」

 思わず、言葉が出てしまった。
 その言葉を聞いた加州清光は、くすり、と少し嬉しそうに笑ったのだった。

「主はそう言うと思ったよ。だから、俺、ずっと主の隣に居られるように、主が俺を感じられるように、と思って作ったんだ」

 じゃーん、可愛いでしょ?と差し出したのは、きれいな硝子の瓶に入った椿の花だった。

「生花じゃなくて乾燥させたやつだから、ずっと枯れない。俺と主の始まりの花でしょ?これでずっと、主の側に俺はいる」

 だから、もう一人じゃないよ。
 晴れやかな笑顔とともに、加州清光は優しく私を抱き締めた。
 彼の腕の中は、とても、とても、暖かかった。



 加州清光との別れは、他の刀剣男士よりも呆気なかった。

「じゃ、行ってくるね」

 いつも出陣する時と同じように、お決まりの台詞を告げ、刀解された。
 彼が居た跡には、僅かな資源。
 溢れ出る涙とともに、それらを胸に掻き抱き、時間の許す限り、体力の限界まで、声を上げて泣いた。
 また、明日から前を向いて歩くから、今日くらいはまだ弱い私で居させてください。
 一人じゃない、その言葉だけを胸に、本丸での思い出に浸りながら、それこそ涙が枯れ果てるまで泣いた。



私の本丸に居たみんなへ
 お元気ですか。
 私はなんとか頑張っています。
 普通のお仕事、人間関係に慣れることは大変だけど、毎日新たな驚きもあって、それはそれで充実しているのかな、と思います。
 まだ、みんなが居ないことに寂しさを感じます。
 ふとした瞬間に、どうしているだろう、と考えてしまいます。
 でも、もう大丈夫。私は少しずつだけど前を向けています。
 だから、安心してください。そして、またどこかでみんなに会えた時、笑顔で会えるように、頑張れって、少し応援してくれると嬉しいです。
 また、いつか。きっと会えると信じて。



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