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「新たな本丸はいかがですか?」


 担当との定例会などのため、二ヶ月ぶりに防衛省傘下の歴史防衛庁――通称、本庁を訪れていた。
 受け持ち本丸以外に外出することもほとんどないため、本庁までの道のり、また、本庁で働く役人に圧倒されて、既に疲れ切っていた。

「初回は無事に滞りなく終わりました。明日が二回目の訪問になります」

 なら、良かったです、と人の良い笑顔を担当は浮かべた。担当との会話がほぼ唯一と言っていいほどの実際の人間との接点である。日頃から刀剣男士と接してはいるが、同じ「人間」というだけで心なしか気が許せてしまう。いつか、そのことを担当に話したら、

「担当の私には気を許してもいいですけど、ここだけの話、他の職員には油断しない方がいいですよ。ここは腹黒たぬきの巣窟ですから」

と真顔で返された。元々、担当以外に気を許すつもりもなかったが、お人好しの担当が言うことだ。それ以降は、態度は悪いが本庁に出向いても極力、誰とも会話をしないように心がけている。

「えーっと、今月末に備中のコード三〇九イの本丸が次の審神者が決まったので終了になりますけど、これは予定通りですね。あと、相模のコード五九八ホの本丸なんですが、来月終了予定だったと思うんですけど、審神者が復帰できそうなので、切りよく今月末に終了を変更してもいいですか?」

「備中の方はそのように対応しています。また、相模の方も、刀剣男士のみで円滑な運営ができているので、霊力の供給さえ途切れなければいつでも引き渡し可能です」

 これだけ科学が発達した社会で、このように対面で打ち合わせを行うことに意味があるのか、常に疑問に思っている。新たな赴任地の詳細連絡も終了連絡も、定例会に重ならなければいつも画面越しでの連絡だ。それに、さすがお役所仕事というべきか、端末で書類管理をすればいいものを、この期に及んでまだ紙の書類なのだ。担当は分厚いファイルを一心にめくりながら、伝え忘れがないかを確認している。
 担当が無言で書類と戦っている間、これから手を離れる本丸のことを思い返していた。



 備中国 コード三〇九イ本丸――通称、ふうせん本丸の前任は新人の若い女の子だったらしい。時間遡行軍との戦いの初期に行われた霊力のある成人が一斉に命令で審神者業に就くことを強いられた、俗に言われる「赤紙招集組」とのことだった。この「赤紙招集」は結果として悲惨なものとなった。
日本国が戦争から離れて幾百年。人々は教養として過去の過ちを学んでいるが、この国の誰も実際に戦争を経験したものはいない。

「人を殺めてはいけない」
「二度と戦争は起こさない」

 これらの教えは確かに、人々の心に強く根付いていた。しかし、その時代の人々は時間遡行軍という予想だにしない敵と戦わなくてはならなくなった。戦うには戦力となる人の力が必要となる。そこで過去の大きな歴史的事変に関与する時間遡行軍と戦うシステムとして、政府は刀剣男士なる神の末席に位置する付喪神に協力を請うた。そして彼らを統率する立場として、霊力のある国民を選別し、審神者として戦地へと送ったのだった。
 政府は楽観していた。審神者は直接手を下すことはない。所詮、ゲームのような感覚なのだと、高をくくっていた。
 だが、実際ふたを開けてみれば、戦地に送られた審神者の多くが自殺を企図し、その他の者も精神に異常を来す者が多く現れた。現代の人々にとって数百年前の戦禍の教訓は、信念という度合いを超えて、もはや呪いの域に達していたのだ。

「人を殺めてはいけない」
「二度と戦争は起こさない」

 これらの呪いを刻み込まれた人々は、いくら自身の手で殺めていないとしても、戦争に関与しているという事実を認識した途端、呪いが発動したのだ。
 政府は慌てた。いきなり大量の審神者が命を絶ったのだから。
 原因も分からないまま、無益に日々は過ぎていった。その間、時間遡行軍の進行を食い止めていたのは、どの時代にも一定数いる、「人を殺すことに躊躇しない人間」だった。彼らは水を得た魚のように、立ちはだかる敵をことごとくなぎ倒していった。今の表向きは平穏な生活は、皮肉にも殺人鬼一歩手前の戦闘狂によって繋がれたのだった。
 しかし政府も、彼らを野放しするはずもなく、すぐに一時的ではあるが呪いを封印するための術式を、新たな審神者には施した。それは即席にしてはよく出来ており、今現在、呪いによる被害は見られない。
 ふうせん本丸の審神者の少女は運悪く、術式前に審神者になり、初出陣後、発狂してしまった。その後の経過は分からないが、十年経った今でもこの本丸に帰ってくることがないということは、そういうことだろう。
 ふうせん本丸には思い入れが強い。私が初めて受け持った本丸だった。代理審神者の手からあぶれ、初期刀の加州清光と初鍛刀の五虎退の二振りだけで長いこと放置されていた。いくら刀剣男士たちは食事などがいらないとはいえ、最初にふうせん本丸に足を踏み入れたときは、あまりの荒れように絶句したのを覚えている。  そこからは、規則に縛られながらも長い年月をかけて、今では刀剣男士の数も増え、なんとか彼らだけで本丸の運営ができるようになっていた。加洲清光と五虎退は今でも取り残され不安はあるが、全体的にはとても落ち着いた雰囲気の本丸となった。
 彼らと離れることは、正直なところ寂しい。右も左も分からなかった私を見捨てず、ここまで一緒にやってきてくれたのだ。他の審神者の手に渡るということを知ったときに、心に穴が開いたように感じた。しかし、非常勤審神者はあくまでも一時の繋ぎのための存在だ。新たな審神者が来ることをふうせん本丸のみんなに伝えたときに嘆いてくれたことを褒美に、未練を断ち切った。
 おそらく次回が最後の訪問となるだろう。しっかりと彼らの表情を目に焼き付けよう、そう思った。



 相模のコード五九八ホの本丸は、花火本丸と呼んでいる。理由は、本丸に足を踏み入れた瞬間、目の前を火の付いた花火が通りすぎて行ったからだ。もちろん、主犯は鶴丸国永である。
 花火本丸の審神者は男性だった。彼は現世で新たに生まれる家族を迎え、妻を支えるために一年間の休暇を申請し、それが許可されたため、非常勤審神者に一時的に任せることになった例だ。彼からの要望で事前打ち合わせをした時、よく言えばとても賑やか、悪く言えば無法地帯のような状態に目を丸くしたことをよく覚えている。しかし、彼は非常に優秀な審神者であり、戦績はいつも任地の上位に位置している。

「あいつらをよろしく頼むな」

 彼の刀剣男士たちを見る目は、とても優しく、そして信頼している事が窺えた。彼のような審神者、彼のような夫がいると幸せだな、と柄にもなく思ったのだった。
 非常勤審神者として、花火本丸に赴くようになったが、彼らは非常によく働き、よく気付き、そしてよく遊んだ。こちらがすることといえば、どうしても審神者の指示が必要なときと、霊力を供給することぐらいだった。そして、私は彼らのいたずらの格好のターゲットとなり、執務中もいつ仕掛けられるかとドキドキしたものだ。
 花火本丸の刀剣男士は、非常勤審神者が一時的な措置であることを十分に認識している。そのため、ドライな態度でもあったが、非常に良い関係が築けた本丸だった。





「たぶん、伝え忘れはないですね。では、次はまた一ヶ月後にお会いしましょう」

 担当の言葉で、ふと我に返る。少し考えすぎたようだ。
 荷物をまとめて、会議室を後にする。

「検診、忘れないでくださいね」

 この十年、何度も同じやり取りをしているのに、毎回律儀に担当は促す。本音を言えば、検診はあまり好きではないが、義務づけられているため、しょうがないと言えばしょうがない。
 少し苦笑しながら軽く会釈をし、今度こそ本当に会議室を後にした。


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