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 時間遡行軍の戦いが始まり早十数年。人々の安寧の裏で日々活躍する私たち審神者の実態も、当初とは大きく様変わりをしていた。
 以前は、一本丸一審神者制しか認められていなかったが、年月が経つにつれて浮かび上がってきた諸問題がある。ブラック本丸や審神者の力を維持できず退職する者、結婚や出産で一時的に審神者業をできない者、精神や体調に不調を来してしまいやめざるを得ない者など、一般社会での退職、休暇事由は当たり前だが審神者にも当てはまった。
 しかし、長いこと戦をしておらず、また予想外の方向からの攻撃に慌てた時の政府は、審神者なる者が刀剣男士と戦うための制度は整えたが、そこに付随する福利厚生や緊急マニュアルについては定めていなかった。そして時間遡行軍との戦いが始まり一年。
 新たに設けられたのが、俗に言う「代理審神者」である。
 「代理審神者」は自本丸を持つことはなく、審神者のいない本丸に一時的に霊力の供給、戦力の維持のために派遣された。
 だが、ここでもまた新たな問題が浮き上がる。
 そう、「乗っ取り」だ。
 本来の審神者が本丸に帰っても、すでにそこは代理審神者に従う刀剣男士のみであったり、また無理やり本丸を奪う報告が多く上がってきた。
 これでは時間遡行軍との戦争の邪魔になる、と時の政府は「代理審神者」制度を廃止、そして新たに作ったのが、この「非常勤審神者」である。非常勤審神者は代理審神者のように同じ本丸にずっといるわけではなく、一人で複数の本丸の運営を行う者を指す。本丸の練度や刀剣男士の練度により、週二日から月一日まで、日を置きながら任務に当たっている。
 代理審神者の教訓を生かし、非常勤審神者の制約は厳しい。
 ・刀剣男士に素顔を見せてはならない
 ・週に三日以上、同じ本丸に行ってはならない
 ・本丸で夜を迎えてはならない
・・・

など、その項目は三十にものぼる。それほど、乗っ取りは戦力に大きな影響を与えたことがうかがえる。
 これでも政府は減らした方らしいのだが、これだけの制約があると非常勤審神者になりたがる者は現れないのは火を見るよりも明らかだ。
 だから、運用を始めて十年、非常勤審神者と名乗る審神者は私を含め、たったの十人しかいないのが現状である。

「新たに本丸増やせますか?」

 画面越しに同僚兼政府担当官がすまなさそうな顔をして尋ねてきた。

「本丸の練度はいくつですか?また、どのくらいの刀剣男士がそろっているのでしょうか?」
「本丸の練度は一五〇、源氏兄弟までは全振り揃っていますね。その内のいくつかは上限まで達しているようです」
「でしたら最初の二ヶ月は週一回で様子を見て、その後は月二回で十分だと思います。ちょうど今月で勤務の終わる本丸がありますので、一ヶ月程度の無理はできます」
「いつもすみません……。もう少し非常勤審神者が増えればいいんですけどね……」

 同僚の政府担当官はクマがひどい顔で苦笑し、あとで詳細を送りますね、と通信を切った。
 非常勤審神者となって私も丁度十年となる。いつの間にか最古参となってしまい、また任される本丸の数も右肩上がりだ。
 現在は合計で二十の本丸を掛け持ちしている。そのうち、週二が二つ、週一が二つ、月二が五つ、月一が十である。まともに全てこなしていたら一ヶ月が三十一日あっても足りないため、安定している本丸は顔を見せるだけのところもある。正直なところ、ここ一年は休暇を申請できるほどの余裕がない。
 ブラックだなぁ、これ、労基に訴えたら勝てるんじゃないか、とは思っているけれど、誰かがやらなければならないことだし、幸いにも私は仕事が恋人、という状態である。それに、毎日勤務だけれど、常勤審神者と違い、勤務時間は九時五時、残業なし、特殊なゲートを支給されているため各本丸までの通勤時間はほんの数秒、という好条件(?)なのだ。旅行のよう二三日かけて遠くへ行くことはできないが、一人の時間は十分に確保され、疲れを次の日に持ち込むこともない。休日がないことさえ除けば、ホワイト条件である。
 趣味も、恋人も、親しい友人も、そして家族も、私にはない。プライベートが人一倍寂しい私には、これくらい毎日何かをしているくらいが丁度いいのかもしれない、と最近思うようになった。
 ピコン、と端末にポップアップが表示される。担当から新たな本丸の資料が届いた。いつ見てもクマがひどく、幸薄そうな彼だけれど、仕事は早く非常に優秀である。そのため、常に仕事に追われているのだけれど。
 新たな本丸は、審神者の引退に伴い、引き継ぎされるまでの間、維持・管理することが任務となっている。このように、引き継ぎされるまでの維持は、刀剣男士のみで運営がある程度できている本丸が多いので、任務としては比較的楽な部類だ。この本丸も練度は一五〇もあり、源氏兄弟まで揃っているという。きっと難しくない任務になるだろう、とその時は思っていた。
 その予想は、別の意味で砕かれることとなる。

 新たな本丸――これからは葵本丸と呼ぶことにする――に赴く日となった。本丸名はないため、いつの間にか非常勤審神者の間では、担当本丸に通称をつけることが慣例となっている。この本丸は単純に玄関先に葵が植わっていたため、そのまま葵本丸となった運びである。

 本丸に赴く際の格好は、一言で言えば「異様」に尽きる。

 非常勤審神者規則 第二項
  刀剣男士にみだりに素顔を見せてはならない

 私は規則に則り、目の下から顔布で覆っている。なぜ、そうしなければならないのかは不明だけれど、規則だから仕方ない。
 このように、非常勤審神者は通常の審神者と比べ、規則が厳しいのだ。まあ、他人様の本丸を預かり、運営・霊力の補助をするだけ、それ以外の不祥事――例えば、乗っ取り――を防ぐため、そして刀剣男士と契約を交わさない、即ち神隠しをされないための措置であるから、窮屈なのは仕方がないのかもしれない。

閑話休題

 葵本丸の玄関先は、色とりどりの花が咲き乱れ、非常に綺麗に整えられていた。そして、それらを整えていたのが、

「おはようございます。今日から定期的に審神者様の代わりに来る者です」
「お前さんが、代理ってやつか」

 白衣を土で盛大に汚し、手袋の代わりに軍手、膝下までゴツい長靴を履いた、薬研藤四郎だった。
 他の本丸の薬研藤四郎とは異なる、異様な出で立ちだ。ここまでの格好をするなら、いっそのこと誰かからジャージを借りれば良いものを……と思ってしまう。
 思わず苦笑いをしてしまったが、薬研藤四郎は

「今からうちの奴ら、紹介するぜ」

と、男前の性格は変わらず、本丸の中に通してくれた。とりあえず、拒否はされていない、とほっとする。
 どこの本丸もだいたい構造は一緒だが、雰囲気によって受ける印象は大きく異なる。この本丸はきちんと手入れが行き届き、前任者が熱心に取り組んでいたことがうかがい知れた。

「お前ら、今朝言ってた代理の大将が来たぞ」

 薬研藤四郎が声を掛けると、あちこちの部屋から刀剣男士がワラワラと集まってくる。というかここの薬研藤四郎は、三日月宗近に対しても「お前」って呼んでいるあたり、本丸内での立ち位置が非常に気になる。

「新たな審神者様がいらっしゃるまでの間、こちらに伺う代理の者です。前任の審神者様のようにすべての審神者業務を行うことはいたしませんが、できる限りお力になれれば、と思います。どうか、よろしくお願いいたします」

 誰かの拍手を皮切りに、大広間に拍手の音が広がる。
また、「よろしく」「仲良くやろうぜ」という言葉が聞こえるあたり、歓迎されているようだった。

「ところで、君のことはなんと呼べばいいかな」

 拍手が途切れたタイミングで、燭台切光忠が尋ねた。

「私は一時の代わりの身であるため、名前を持ちません。皆様もご存じだと思いますが、本契約をしない人には固有の名称をつけることは禁忌となっています。ですので、簡単に『代理』で構いません」

 名とは、即ち自身の本質となるものである。
 自身の本質とは、即ち魂である。

 審神者規則 第五項
  真名は決して教えてはならない。
 非常勤審神者規則 第四項
  真名は決して教えてはならない。また、乙は固有の偽名を名乗ってはならない。

 審神者となるに当たって、自身の情報については開示にかなり規制が設けられている。刀剣男士は付喪神とはいえ、神の末席に座する。自身の本質――即ち、真の名を教えることは、魂をゆだねることを意味するのだ。これは正規・非常勤審神者に関わらず厳守しなければならない規則だが、非常審神者は正規の審神者に比べ、政府からの守護はかなり手薄いものとなっている。そのため、規則は非常勤審神者規則には相応に厳しいものとなっており、偽名でさえ固有の名前を付けられることは禁止されている。
 一時とはいえ、本丸を預ける相手のことを知らせないのは、信頼関係の構築を難しくする要因であると、いくつもの本丸を受け持った経験から感じている。おそらく、この本丸の刀剣男士も、「代理と呼べ」という発言に困惑するだろう、と思っていた。

「じゃあ、あねさま、でもよいのですか?」

 今剣だった。
 初めてだった。このように親しみを込めて接してきてくれた本丸は。
 他の本丸では、困惑した空気が漂った後、「では、代理様、とお呼びしますね」とよそよそしさがあった。関わりを持つ月日が長くなるにつれ、最初のようなよそ者感は少なくはなるが、やはり最後まで心のどこかで馴染めない感覚が拭えなかった。
 今剣は無邪気に笑いながら私の返事を待っている。顔布で隠れている口元が、嬉しさで歪むのが分かった。
「ええ、構いません。皆様の好きなようにお呼びください」
 すると、あちらこちらから、さまざまな呼び名が聞こえてきた。
 姉ちゃん、姉さま、姉さん、姐さん、嬢ちゃん、お嬢さん……。
 そのどれもが親愛に満ちており、くすぐったさを感じる。
 無意識のうちにしていた緊張がほぐれ、小さな笑い声が漏れてしまった。

「笑ったな」

 ニッといたずらっぽく薬研藤四郎が笑う。
 通算一一〇本丸目の葵本丸での始まりは、明るいものとなった。


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