君は優しい



 君――にっかり青江にとって、審神者とは、一体どのような存在なのだろう?


 私は縁側で、三日月さんとお茶を飲んでいた。
 うららかな春の昼下がりのことだった。

「にっかり青江は、どういう奴だ」

「どういう奴、というのは」

「ああ、彼奴のことがじじいにはよく分からなくてな」

 三日月さんは最近この本丸にやってきた。昔なじみである私や今剣ならともかく、知らない刀剣も多くあるため、本丸にいる刀剣男士について把握しきれないのも無理はない。
 だが、三日月さんのこの言葉に、私は少し違和感を抱いた。自身のことをじじい、とは言っているが、思慮深い三日月さんらしくない言葉だと思った。

「にっかりさんのことかい?」

 しかし、深くは考えず話に乗る。

「そうだねぇ。彼はとてもよく周りを見ているねぇ。私も何度か気付かないうちににっかりさんに助けられたこともあるんだよ」

「ほぅ、そうか」

 そうかそうか、と三日月さんは何度も頷いている。

「三日月さん、なぜ彼のことが気になったんだい?」

 やはり、私ににっかりさんの印象を聞き、一人納得している三日月さんのことが気になった。

「いや、なんということはないんだがな。外と内とが噛み合ってない印象を受けるのでな。まぁ、じじいの勘というやつだ」

 そろそろ行くかな、と三日月さんは立ち去った。
 三日月さんの彼に抱く違和感とは、一体なんだろうか。思い返すが、心当たりは……そういえば、半年前のあの時、ほんの僅かに感じたあれがそうなのだろうか。


 時は半年前に遡る。
  「これまで本当にありがとうございました。みんな元気でね」

 笑顔を作りながらも、どこか泣きそうな顔で手を振る前任の審神者。
 たった1年。されど1年。この本丸に来た時はまだあどけなさの残る表情で、今まで争いなどに巻き込まれたことがないような、清らかでまっすぐな瞳を持った彼女。こんな子まで戦に駆り出されるのか、と胸を痛めたことを思い出す。その彼女も、1年経った今、清らかではあるが、意志の強さを感じさせるまっすぐな瞳で、私達刀剣男士の主として、仲間として一緒に戦っていた。
 だが、運命とは残酷なものだ。
 彼女は審神者ではいられなくなってしまったのだ。しかし、彼女は泣くことも、喚くことともなく、ただ笑顔で最後まで思い出を私達との思い出を作っていた。
 その彼女が審神者ではなくなり、本丸から去った日。
 夜も更け、中天に月がかかる時間。この日はよく晴れた月夜だった。障子を通して月明かりが部屋に差し込んでいた。そこを、よく見慣れた姿が横切るのが見えた。こんな時間に彼、にっかりさんが出歩くことは珍しい。私は少し気になり、静かに後を追いかけた。
 彼は審神者の部屋の前の縁側に腰掛け、庭を一瞥したかと思うと、おもむろに手を空に伸ばし、何か――そう、まるで夜空に浮かぶ星――を掴むかのように、手を握った。そして、降ろした手の中に何もないことを確認し、もう一度握ったのだった。
 彼がなぜ、そんな行動を取ったのかは分からない。けれど、今の彼はこれまでのどのにっかり青江とも違う、寂しさを湛え、しかし必死にそれを打ち消そうとする、一人の男の姿であった。
 そんな彼に声をかけることも憚られ、私は気付かれないようにそっと、部屋に戻ったのだった。
 次の日以降、にっかりさんはいつもの通りで、昨夜の行動は私の夢だったのではないかと思うくらい、いつも通りだった。

 そうだ、”いつも通り”だったのだ。

 1年間とはいえ、共に過ごしてきた主が去って、無意識のうちに感傷に浸ってしまう中、一番最初に”いつも通り”に戻ったのは、にっかりさんだった。
 あれ程までに主の信頼を得て、傍目からでも主と親密であることがうかがえたのに、まるでその主のことなど忘れてしまった、そんな主などいなかったかのように、少し妖しげに、一歩離れて見守る彼は、本当に”いつも通り”だった。
 そこから今日までの半年、新たに審神者が主として来たり、新しい刀剣男士を何振りか迎えたり、と慌ただしい日々だったため、すっかりと忘れてしまっていた。
 新たな日常の中、にっかりさんも変わりがなく、いつものにっかりさん……いや、彼女が主だったときと同じではない、前々任の主のときと同じような、一歩距離を置き、付かず離れずを保った彼だった。
 私はこの本丸の中で、一番にっかりさんと親しいと思う。けれど、思い返してみると、あまりに知らないことが多すぎる。彼は秘密主義ではない。ただ、決して多くは語らないだけだ。けれども、私は彼が語った数少ない言葉から、彼のことを分かった気でいた。そして、にっかりさん自身も、そう理解してほしいと、願っているのかもしれない。
 だとすれば、三日月さんが感じた、にっかりさんの違和感。

 外と内が噛み合っていない

 彼は、何を内に秘めているのだろうか。きっと前任の主と関係があるのだと、そう思った。

 1日の課業が終わった後、にっかりさんに声を掛け、裏庭に面した縁側に誘った。

「石切丸さん、僕を誘っているのかい?」

と、いつものように冗談を言うも、どこかその目は覚悟を決めたような、強さがあった。
 ああ、この瞳を私は知っている。
 彼女と同じ瞳だ。
 きっと、私が何を聞くために呼んだのか、察しのいい彼のことだ、気付いているんだろう。

「そうだねぇ、たまにはにっかりさんを誘ってみるのもいいかもしれない。明日、鶯丸さんとお茶を飲む約束しているんだけど、来るかい?」

 冗談には冗談を。いや、半分以上は本気だけれど。決して君を傷つけることをしたいわけじゃない、という気持ちは伝えたかった。
 にっかりさんは、軽く笑うと、

「ありがたいけど、若輩の僕が混ざっても楽しくないよ?」

と断りを入れた。それに、明日は三条大橋への出陣だ、とも。任務を第一に理由に断らないのも、気付かれないほど細かな気配りができるにっかりさんらしい。  これ以上、無駄な時間を引き伸ばす必要はない。私はそう判断し、単刀直入に本題に切り込んだ。

「三日月さんがね、にっかりさんのことが気になるみたいだよ」

「それは光栄だね」

 意外だというように、少しだけ目を見開いた。それもそうだろう、三日月さんとにっかりさんの接点はないに等しい。

「だけど、同時に君の外と内が噛み合っていない、という印象を受けるみたいなんだ」

 これには、さすがのにっかりさんも素で驚いた顔をした。

「さすが、三日月さんだね。何でも見透かしているようだ」

 心当たりがあるのだろう、にっかりさんは否定はをしなかった。誰しも表の顔と裏の顔は持っている。特に、にっかりさんのように謎めいた妖しい雰囲気をしているのなら、なおさら。

「実はね、私も三日月さんに言われて気付いたんだ。にっかりさん、君は戻ってしまった。彼女が来る前の君に」

 にっかりさんは、ふと視線を落とした。

「彼女の手はね、暖かかったんだ」

 口元には淡い微笑が浮かんでいる。見つめている彼の手は、少し震えていた。

「人は、暖かいんだね。彼女に触れて、僕は気付いてしまった。僕たちは体温を持たない、どれだけ人の身を借り受けていても、所詮”物”なんだ、同じ時間を生きられない、と。
 僕は、この温もりを忘れてしまうことが怖い。彼女がくれたこの温もりを忘れてしまうことが怖い。初めてだよ、これほどまでに失いたくないと思ったことは」

 固く握りしめられた手から、手袋のこすれる音がする。逃すことのできない力が体を震わせている。
 彼は口を閉ざしてしまった。だけれど、彼の気持ちは痛いほどによく、伝わってきた。
 思っている以上に、彼は不器用なのかもしれない。彼女がもういないこと、新しい審神者を受け入れなければならないこと、それらのことは彼も十分に理解している。しかし、理解していることと、行動に移せることは意味が異なる。理解はしていても、動けない。
 怖いのだ。彼自身が言っていたように、彼女という存在を、たった1年というひと時であれ、同じ時間を生きた、血の通った温かな存在を忘れてしまうことが、思い出となってしまうことが、怖いのだ。
 過ぎた思いは、自らを蝕む毒となる。
 思慮深い彼のことだ。
 自らの思いには蓋をした。蓋をしたら、彼女といた時のように振る舞えなくなってしまった。新しい審神者との思い出を重ねることで、彼女のことが風化してしまうことが恐ろしいのかもしれない。それが、三日月さんの違和感の正体だろう。
 にっかりさんは誰にも言えないこの思いを一人で抱え、一人で大切に守ろうと足掻いていたのか。

 自分にはなかった気持ちを芽生えさせてくれた。
 人の血の通った温もりを、人の暖かさを教えてくれた。
 初めて、守りたいと強い意志を感じさせてくれた。

 にっかりさんは、多くのものを『くれた』彼女のことに囚われている。
 だけど、

「そのままのにっかりさんでいいんじゃないかな」

 私が君にしてあげられることは、幾つとない。けれど、今のありのままのにっかりさんを受け止めることぐらいは、きっと私にできることだと思う。
 悩むことが他の彼らよりも少し多い君の瞳が、これ以上、曇っていくことがないために、私は私にできることをするだけだ。

「……彼女は、よく夜空に手を伸ばしては、星を掴もうとしていた。掴めるはずもないと分かっているのに」

 にっかりさんは夜空に手を伸ばし、夜空にきらめく星を掴むように手を握った後、何もない空虚な手のひらを見つめていた。

 僕もね、分かっているんだ、掴めないことくらい

 ぽつりと彼がつぶやいた言葉は、夜の闇に消えていく。
 必要以上の欲を抱いてしまった彼の苦悩は、私には分からない。そもそも、欲という感情が私には理解しがたい。けれど、今のにっかりさんは、とても”人間味のある”人物に映った。

「君は優しいんだね」

 ハッとした様子で、にっかりさんは顔を上げた。

「以前、彼女にも同じように、”君は優しいね”、と言ったことがあったんだ」

「そうか。彼女も君のことを真剣に考えて、悩んでくれたんだね」

「そう、だったよ。僕のことなのに、必要以上にムキになってくれた」

 フッと笑った彼の顔は、少しだけ以前の面影がちらついて見えた。



 あの日以降も、彼の様子は変わっていない。
 少し妖しげで、一歩離れた距離感。
 彼女のことを忘れることが怖いのは変わらないのだろう。だけれども、思い出したように手のひらを見つめることや、一人静かに夜空を見上げていること、その時に柔らかな笑みを浮かべている彼を見掛けるようになった。
 きっと私以外は気付いていない。
 でも、それでいい。

 彼は、彼女と触れ合って『心』を得てしまった。

 その『心』を大切に守ろうとする彼を守るのが、多くの時を祈りに捧げてきた私の、この本丸での新たな使命なのかもしれない。
 仲間として、神剣として、少しでも彼の大切な『心』が壊れないように、祈祷に励むとしよう。

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